昭和16年の夏の敗戦
前に読んだことがあったのに、2度買いしてしまった...
昭和16年、真珠湾攻撃の約半年前、総力戦研究所に集められた30歳代のエリートによる模擬内閣によるシミュレーションを描いたノンフィクション。模擬内閣が下した結論は「敗戦必至」だったにもかかわらず、日米開戦に踏み切った理由に迫る本。
- 作者: 猪瀬直樹
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2010/06/25
- メディア: 文庫
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石油備蓄と戦争遂行に必要な石油の数字のつじつま合わせがうまくいったことによって、最終的に開戦が決断されてしまう。
その場面で、当事者である海軍も含めて責任を持った判断がなされないことを、
決断の内容より"全員一致"のほうが大切だったとみるほかなく、これがいま欧米で注目されている日本的意思決定システムの内実であることを忘れてならない。
と断罪している。
実は、この本が書かれたのは1983年で、バブル景気の前。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになったのは1979年なので、日本が調子が良かったときにあたる。
でも、この「日本的意思決定システム」は今も大企業や官公庁、政治の世界では一般的のような気がする。
ここで、本題とは外れて、個人的に気になったことのメモ。
内政の(予想外の?)安定
この模擬内閣はかなり実際の史実に近いシミュレーションを行うのだが、内政についてのコメントは少し的を外している。
例えば...
大和魂について、佐々木の
「そうはいっても、国民の納得しない戦争は続かない。あなたのような決意が国民一人一人あれば話は別だが、そうではないでしょう」
シミュレーション上での物資の輸送が絶望的なことがわかってから、
もはや戦いの勝ち負けはどうでもいい段階にきていた。それよりも研究生らが関心を抱いたのは国内対策のほうであった。
実際の終戦間際の佐々木の日記には、
遂に聖断下る。戦はここに終った。しかし今後国内において血が流れるであろう。
こういった予想と比べると、実際の国内統制は想像以上にうまくいった(うまくいってしまった?)のではないかと思う。
- 戦時中の国民が困窮に耐えられたこと
- 玉砕も含めた捨て身の戦術をとったこと
- そして降伏後の武装解除がスムーズに行われたこと
どれも今の感覚では理解できない部分がある。
もし日米開戦を回避できたら...
「敗戦必至」がわかっていたにもかかわらず開戦を回避できなかったことが本書の主題。そこで、もし日米開戦を回避できたとしたら、その後どうなったのかを考えてみた。
本書を読み解く限り、昭和16年のタイミングでは、日米交渉の妥結のために、中国からの撤退と日独伊三国同盟による中立化が条件だったはず。
当時、スペインはファシズム国家であったけれど第二次世界大戦には参加せず、1975年まで独裁体制を保っていた。同じように中立国であったポルトガルも1974年のカーネーション革命まで軍事政権が続いている。おそらく、日本も中国撤退と中立化を受け入れていたら、スペインやポルトガルと同様に反共でやや親米的な軍事国家というポジションに収まったように思える。
でも、それが良かったとも思えない。
太平洋戦争がなければ、日本は、韓国と台湾を(さらに関東州や満州国も)植民地として保持し続けたと思う。でも、第一次世界大戦以降の世界のコンセンサスは「民族自決」であって、敗戦がなくても植民地を持ち続けることは困難になっていったのは間違いない。
一方で、敗戦がなければ、日本は植民地を保持することにこだわったと思う。
例えばフランスは、戦後も植民地にこだわってインドシナ戦争やアルジェリア戦争のような泥縄を経験している。例えばの話だけれど、日本と韓国・中国の関係がフランスとアルジェリアのような泥沼の関係になっていた可能性もありうる。
植民地の負担や軍事費を考えると、高度成長はなかったかもしれない。敗戦を経験しない日本がどんな形で植民地の独立を認めるのか...と考えると史実とは別の意味で茨の道かもしれない。